肉体と精神について考えたこと
どうも、れもんちゃんです。
彼が昨晩の電話で、ある不安を吐露してくれた。
体が衰えても、私が好きでい続けてくれるか。
セックスの相性がいいからこその不安とのことで。
私は、それにこう答えた。
私がセックスで得ているものは、精神的な充足感の方が明らかに大きいんだよ。
だから、あなたの性格が、これから悪い方向に変わらなければ大丈夫。悪い部分が出てきても、注意したら直してくれればいい。
体の衰えは、他の部分で補おうと思っていればいい。年々、他の部分を一緒に磨いていこう?
そう答えると、彼は不安が取り除かれたような声でそうだよね!と言った。
その時、私は言わなかったけど、似たような不安をずっと持っていたから、なんだかほっとした。
彼は外見についてよく誉めてくれる。でも、間違いなく年々外見は衰えていくもの。
年々魅力が減っていく部分を、今愛してくれているなら、年々愛が減っていくのではないかと、そんな不安を抱いていた。
私は、電話を切ってすぐに眠りについたけど、ふと早朝、目が覚めて、この電話の続きを考えはじめた。
それがまさに今のおはなし。
間違いなく言えるのは、
肉体は年々衰えていく。姿形を変えていく。
でも、精神は年々鍛えることができる。より美しく磨いていくことができる。
ということ。
だからこそ、肉体にこだわりすぎるのってとっても刹那的で淋しくて虚しいことで、精神を磨くことを大切にすべきだと、改めて結論付けた。
とか言っておきながら。
そんなわたしもお化粧大好きファッション大好き肉体改造大好きな女ですから、一見説得力に乏しい。笑
でも、私のなかでは、筋が通ってるのです。
肉体を磨くことで内面に自信を持つことができる→外に出ることができる→明るい気持ちで人と関わって喜怒哀楽を感じる→心を豊かにしていくことができる
こんなサイクルが生まれているわけ。
やっぱり精神は、自分の外の世界との関わりで磨かれていくと思う。
肉体を磨くことで精神を磨く礎を築く(要は自信をつける)ことができるのかなーと、そう思っています。
さらに。
肉体は、人間として生まれてきた上での仮住まいの場所。そして、核となる部分は精神。
私たち人間は、人間として精神を磨いていくことが、人生の命題であるから、じゃあ、肉体は最大限活用してやればいい。
人間として生まれてきたからには、
人間としての義務=子孫を残して社会の中で人間という種族を守ること
を全うしてやればいい。その中で、精神を磨くことが、人生の意味なんじゃないかなーと。
子供を残して、社会の一員になって、その中で精神を磨いていけばいいんじゃないかなーと。
そう思いました。
だからこそ、今、早く結婚したいと思っている。そして、子供がほしい。
違う社会で生きた人間同士が一生を共にすることを誓い、自分とは別の精神を持った人間を育てていく。
こうして、間違いなく、自らの精神も磨かれていく。人間としての義務も果たされる。
やがて死を迎えても、とっても充実した気持ちで天に召されることができるのかな~
なんて。そんな想像もしてみた。
もちろん、こんな理想論だけじゃ成り立たない。苦労もたくさんすると思う。
違う環境で生きた人間と一生を共にするなんて、苦労無しでやっていけるわけなんてない。
まだ磨ききれていない精神で、別の精神を持った人間を育てていくなんて、苦労ももどかしさもたくさん感じるに違いない。
だけど、それでも、やりたいと思う。
それは、人間だからかな?向上心もそうだけど、人間としての義務を果たしたいからかな?
そんなことを考えてみましたとさ。
おっしーまい!
れもん